ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
15・・その2−スペイン2(San Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ)からFerrol(フェロル)まで9/16-9/27))
【32.9/16(金) San Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ)からLlanes(リャネス)まで】
【33.9/17(土) Llanes(リャネス)からRibadesella(リバデセヤ)まで】
【34.9/18(日) Ribadesella(リバデセイジャ)からTornon(トルノン)まで】
【35.9/19(月) Tornón(トルノン)からGijón(ヒホン)まで】
【36.9/20(火) Gijón(ヒホン)からAviles(アヴィレス)まで】
【37.9/21(水) Aviles(アヴィレス)からSoto de
Luina(ソト・デ・ルイナ)まで】
【38.9/22(木) Soto de Luiña(ソト・デ・ルイニャ)から−Luarca(ルアルカ)まで】
【39.9/23(金) Luarca(ルアルカ)からLa Caridad(A Caridá ラ・カリダ)まで】
【40.9/24(土) La Caridad(A Caridá ラ・カリダ)からRibadeo(リバデオ)まで】
【41.9/25(日) Ribadeo(リバデオ)からMaariz (マーリッツ)まで】
【42.9/26(月) Maariz (マーリッツ)からVilalba (ビラルバ)まで】
【43.9/27(火) Vilalba (ビラルバ)からFerrol(フェロル)まで】
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【32.9/16(金) San Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ)からLlanes(リャネス)まで】+【Memoirs37--the 13th day of Camino del Norte】
camino徒然**********************
■歩行count--100から900までの歩行カウントについては杖のtopに置く指で100台をcount upすることは以前書いた。
左親指、右親指、右人差指、左人差指のon、offを1、0で示すと
000台—0000、100台—1000、200台—1100、300台—1110、400台—1111
500台—0000、600台—0010、700台—0011、800台—0111、900台—1111
2進方を使えば15まですなわち1.5kmまでカウントできるのであるが途中からの変更は混乱する、しかもややこしい。
ただ上記カウント方法では0台と500台、400台と900台が同じ形である。ボルドー辺りからこれを改善している。400台と500台では人差し指を動かし900台では親指を動かすようにして区別して、0台はなにもぜずと。手の位置と動いている指の違いで何台をカウントしているのかがたちどころに分かる仕組み。
カウントは歩いた長さではなく、Start点からの折れ曲がり直線方向の距離を計っているためバス停などで台形の形を正直に歩むときや、斜め横断のときは3歩に1歩はカントしない。正確を期すならば45°の角度に進むときは、その1/(約5/7)となるように、7歩歩めば、2歩分を間引きをして5歩とするように。きつい坂道では右足カウントに半歩の隙間をあける。すなわち右足カウントに半歩追加して左足カウントを行うというように間引きしながらの歩行とする。
■タオル
フランス・ブルターニュに住むcaminoの友人宅へお土産として日本のタオルを持っていった。乾燥が早くとても便利だと。ところがキョトンとした顔をしている。キャンプ場でも気付いていたのだが薄いタオルが干されていない。バスタオルばかりだ。アルベルゲで青年に聞いてみた。君たちはタオルを使わないのかと。Noという。"タオルに石鹸を付けて背中をごしごし"という文化を持たないようだ。素手で身体を洗う、背中のまん中に容易に手が届くという。Marcにも聞いたことがある、唯一両親はスポンジを使うと。どのアルベルゲでもタオルは皆無、みな素手なのである。逆に言えばタオル文化をヨーロッパに広めるビジネスチャンスではないかと考えた。
■矢印
camino道には黄色い矢印の他に青地で黄色の浮き出しのあるVieira(ビエイラ:モホン)というシンボールマークがある。帆立て貝をデザインした11本の線と貝の頭から構成されている。四角錐のコンクリに埋め込まれたものが多い。銅製、陶器など様々な形態がある。北の道の巡礼も2週間になんなんとするのに初めて方角を指していることに気付いた。いままで黄色の矢印とsetだったので気にも留めなかったがAsturias州に入ってからは帆立て貝だけの時が多くなってきた。帆立て貝の頭が右を向いているときは右へというように、上向き、左右、真っ直ぐ(地面)の種類があり、見落とすと大変なことになる。(ガリシア州ではこの向きが逆になる。帆立て貝のデザインで言うと9本の線の方向が束になってサンチャゴ方向を示す。)
その他マークに"BICI"があるがバイク用の誘導マークである。矢印に"A"が添えてあるとアルベルゲに誘導してくれる。
市内に入るとマークが消えてしまう。この場合は大体西に進むか教会に向かえば間違いがない。
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本日のコースはSan Vicente de la Barquera(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラ)からPesués(ペスエス)--Unquera(ウンケラ)(CANTABRIA--ここまでがカンタブリア州)-Rio Deva(デバ川)-(ASTURIAS--アストゥリアス州)Colombres(コロンブレス)--La Franca(ラ・フランカ)--Pendueles(ペンドゥエレス)--Andrín(アンドリン)を経てLlanes(リャネス)までの41km。
長丁場になったのには訳がある。雨であったため国道のN634号線を取ったので自然と距離が延びる。ここではAcebosa(アセボサ)→Serdio(セルディオ)といった山越えをパスしている。続いてPendueles(ペンドゥエレス)での宿泊予定では近すぎると思い、11km伸ばしてAndrín(アンドリン)でのテント泊を図ったのである。しかし同行のcamino仲間たちが次の町Llanes(リャネス)をしきりに囁きだしたので行かねばならないような気がしてきたのである。
雨の中7:10出発。いつも思うのだが重いリュックが身体にまとわりつく感じはサイボーグを背負うか、歩行補助の機械を背負うのと似ておりがっちりと体に食い込む。四股を踏むような体勢で一旦リュックを膝に乗せる。それを一気に肩に担ぐのだ。ポシェットのバックルがリュックに挟まれて痛い。すこしポシェットをづらしバランスを取ると調子がよい。今朝もMarcを待って出発。古城の石畳を降りていく。 国道を7kmほど歩き暫く歩く。川をわたりAstrias州に入る。
Rio Deva--Border of CANTABRIA and ASTURIAS
(カンタブリア州(手前)とアストゥリアス州(前方)との境界を渡る橋)(9:40)
Colombres 10:00着。10:10-カフェコンレチェ休憩。
やっと小雨に。 イタリア人Giacomoジャコモとも行動を共にする。Marc、Giacomoのsetをあとにしてspeedをあげる。MarcとGiacomoはPendueles(ペンドゥエレス)で留まったのかもわからない。Marcとはその後会わずにSCまで来てしまっている。彼は足を相当痛めていた。あとは1人旅だ。Llanes(リャネス)までは殆んど国道を歩くという超高速のバスク人Javierヤビエルと途中から一緒だ。40代で独身、ポリスだという。漫才の阪神巨人の巨人に似ており早口でまくしたてるところもそっくり。アルベルゲに着くまで一回も休まないという。こういう人と一緒なら潰れてしまう。途中から1人で行ってもらうことにした。ただこのルート海岸コースが用意されている。Pendueles(ペンドゥエレス)まで戻るかあるいは脇道を取り海岸コースに合流するかの選択肢が可能なpoint であることに気付く。目の前を男女の2人組が通りすぎたので後を追う。ひょっとして海岸コースを勧めることができるかもしれないと。案の定大きなジャンクションで地図を見始めた、Llanes まで国道で12kmの地点でもある、追い付いたので脇道からcamino 道に合流する道があることと、こちらの方が10kmで短く景色がよかろうと説得、しこうしてここから3人で海岸コースへ分け入る。道案内は地図に便っているだけなので多少不安であるが2人はついてくる。
Coast cource(海岸コース)(14:21)
なだらかで静かな海岸コースである。しかし延々と続く
Ensenada de Purón(美しい入り江)(14:51)
Bufone de Arenillas海水による噴出を見学。
Bufone de Arenillas
間欠泉のように海水がここから噴き出す。
冬季に限る現象らしい。
延々海岸コースを歩く。当所の宿泊予定のAndrin で15:20 サラダ+コーク休憩。かなりの量のサラダである。後から2人も入ってきた。
Ensarada(サラダメニュー)(14:51)
疲れた身体にこれだけあれば十分である。
電池28%とやばい状態。このスマホ 電源を入れたまま充電すると接点の調子でピンポン、ポンピン・・・と音がする。どうも接続端子が甘くなっているようで注意が必要。歩きながらの充電は中止。
この海岸コース思わぬ落とし穴が、GRコースなのでトレッキングコースとして整備されている。
よって距離は度外視だ、Cueの町を通りたかったのに、丘の上から見下ろすだけで下ろしてくれないのだ、Llanesの町までもがだんだん遠ざかっていく。延々5kmくらい遠回りをさせられた。My MapではCueを通る車道が示されている。僅かな地図のよみちがいとGRのマークを信じすぎた事による。スマホの電源を殆んど切っているために分岐点ごとに電源を入れ直すのも煩わしい。あぁ2、3日もつアップルスマホが欲しい!
My Map19_01_003_bから670mのポイントで紫のGRトレッキングコースを言ってしまった。
Llanes の町、旧市街の佇まい。この町御多聞にもれずどんちゃん騒ぎである。
町は人で溢れかえっている。わかる気もする。レストランが犇めく旧市街の町は、半径10km圏内でここしかないのである。観光客でなくても殺到する理由がわかるというものである。
絵を描いていると後ろにギャラリーがどっさり。皆絵が好きなのかしら。言葉以上に絵がお喋りをしてくれる。教会でミサをやっていた。スケッチをしていると皆が寄ってくる。一部始終を見届けてから立ち去る。こういうギャラリーを抱えつつたった5色(赤青黄白黒)で全てを表現するのはきつい。あぁ24色が欲しい、荷物を減らすための苦心ではあったが。
ホテルで進められた郷土料理店で久々の贅沢な食事。。店でドイツ婦人Annaと20:30に合流する。 ミュンヘン近くに住むという。フルコースにワインがついてたったの11ユーロ。
Iglesia de Santa María del Conceyu (サンタ・マリア・デル・)
(skeched at 19:23 in angle of 56°)
Port Llanes and Old town included Gastañaga Mansion
(リャネス港と町の風景)
(skeched at 20:00 in angle of 270°)
Map: Between San
Vicente de la Barquera and Llanes
(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラからリャネスまでの地図)
Elevation Profile :Between San
Vicente de la Barquera and Llanes
(サン・ビセンテ・デ・ラ・バルケラからリャネスまでの標高プロフィール)
Max121m
【33.9/17(土) Llanes(リャネス)からRibadesella(リバデセヤ)まで】+【Memoirs38--the 14th day of Camino del Norte】
本日のコースはLlanes(リャネス)からPóo(ポオ)--Celoriu(Celorio(セロリオ))--Barro(バロ)--Niembru(ニエンブル)--Naves(ナベス)--Villahormes(ビリャオルメス)--Nueva(ヌエバ)--Cuerres(クエレス)--Piñeres de Pría(ピニェレス・デ・プリア) --Toriello(トリエリョ)経由でRibadesella(リバデセヤ)までの32km。
7:17 同室になったドイツ婦人Anna と一緒にスタート。昨夜は公営にしては立派なLlanes(リャネス)のホステル(La
Casona del Peregrino Hostel)。そこではドイツ婦人Annaと同室。夕食を一緒に食べた中でもある。朝早くから2人がゴソゴソし出した。ヘッドライトを点けなくても部屋を明るくすれば済み支度が捗る。海岸伝いのコースとは言えPóoまでは町中を通りAS263に合流したあと、本格的に海岸コースを取ろうと話し合っていたので一緒に出発。
それでも闇夜のなか遠回りのルートへの分岐点で、前を行くcaminoに釣られてそちらに行こうとするのを思い留ませ最初の方針をkeepする。しかしPóoで失敗をした。矢印通り進むと遠回りであることは分かっていたので近道ルートに誘うと、それを嫌がる。別のcaminoもその方向に歩き出すので、仕方なく一緒に進むが、狭い通りをぐるぐる回っているうちに結局遠回りとなってしまった。
強くこの2人を最初の通り誘えばよかったと反省。
このときMy-Mapの拡大図を見ていれば論理的に説明がついたはずなのにしっかり見ていなかったものだから押し切られてしまったのだ。ロスタイム15分。川を渡るともう迷う道はない。気持ち良い台地の一本道を西へ西へと進む。
小さい村が次から次へと続く丘陵地帯で、鉄道もくねくねと風景に沿うように付いてくる。
Marche of Nueva(ヌエバの土曜市)(10:58)
前を行く左の男性は、Bilbaoから一緒である。緩急使い分けて歩を進む。
スキンヘッドで竹中直人そっくりな韓国青年。11:40-11:50。
Mountain from Cuerres(クエレスから望む山)(12:16)
monuments of Cuerres
(クエレスの牧場から降りる途中のモニュメント)(12:38)
12:30 丘の上 教会の鐘 19_01_014_aから790m
point、
Cuerres通過 12:50、バスク人Javier ヤビエールと会う。
途中でバスク警察のJavierと会う。なんと足を痛めているという。無理な高速歩行がたたったようである。この先はあまり歩けないかもしれないと。
Mountain from Cuerres(クエレスから望む山)(12:16)
14:45 Ribadesella 到着。
JavierはBarでアロスコンレチェ(米をミルクで焚き甘くしたデザート)を食べている。
別のBarでChristian Winterと会う。
beach of Ribadesella(リバデセヤの海岸で)
(skeched at 18:45 in angle of 0°)
この荒い波にもかかわらず、サーファー達はボードを持って海に飛び込んでいく。
監視員がちゃんとサーファー達を監視している。
側で行われているマラソン大会には目もくれず。
いつか「波」をきっちり描いてみたい。動く生き物である。
Marathon was held in the town of Ribadesella
(リバデセヤのマラソン大会)(18:57)
こちらの大会は18:00に始まった。1,2時間ほど町中をぐるぐる回るようである。
救護班は病院からのスタッフが当たる。交通はいっとき遮断される。
Ribadesella(リバデセヤの対岸)(skeched at 19:46 in angle of 152°)
高い山を背景に持つ港町であった。
Map: Between
Llanes and Ribadesella
(リャネスからリバデセヤまでの地図)
Elevation Profile :Between
Llanes and Ribadesella
(リャネスからリバデセヤまでの標高プロフィール)
Max121m
【34.9/18(日)Ribadesella(リバデセイジャ)からTornon(トルノン)まで】+【Memoirs39--the
15th day of Camino del Norte】
今日のコースはRibadesella(リバデセヤ)からSan Esteban de Leces(サン・エステバン・デ・レセス)--La
Vega(ラ・ベガ)--Berbes(ベルベス)--La
Espasa(ラ・エスパサ)--El Barrigón(エル・バリゴン)--La Isla(ラ・イスラ)--Colunga(コルンガ)--Pernús(ペルヌス)--La Llera(ラ・ジェラ)--Priesca(プリエスカ)--Sebrayo(Sebrayu セブラヨ)を経由してVillaviciosa(ビリャビシオサ)直前のTornón(トルノン)(Muslera(ムスレラ))までの39km。
昨夜の宿はユースホステル(Roberto Frasinelli Youth Hostel)。夕食はフロントでオーダーしておくと20:00には食堂に運んでくれる。部屋の3人の男性がスープを含むフルコースを食べていたので、追加注文で1setを遅ればせながら作ってもらう。リュックにある食材で夕食を食べてもよかったのであるがワイン付きのフルコースを見てしまうと涎がでてしまったというわけである。
この一人がガリシア出身の男性。映画俳優のような美貌の中年紳士である。彼とは同じベッドで上下の関係。しかし深夜からゴソソソと。こちらもゴソゴソと。2人して蚤にやられたらしいのだ。痒くて痒くてたまらない。瀟洒な洋館建てのユースホステルにあるまじき事態である。早々にユースを後にする。
7:25 出発。不思議なもので日中は痒くはない。景色がすばらしく癒されるのだ。土の道、海岸の道、草道がづっと続く。牛が草をはむ。その向こうに青い海。最高の景観である。
8:42 海が見える場所。
9:17 良い景色 山と牛と海の組み合わせ。
Ranch at La Vega(ラ・ベガの牧場)(9:17)
10:12 海岸べりで軽食休憩。La Espasa近く
La Espasa(ラ・エスパサ)
(skeched at 10:12 in angle of 270°)
La Espasa(ラ・エスパサ)の道で、縁台があったので休憩。
手前は杖とリュック。
10:56 Isla
Coastal scenanry at La Espasa
↓(ラ・エスパサの海岸風景)(10:58)
海岸まで牧場が続く。camino道は起伏を描きながらそのへりに続く。
La Isla(ラ・イスラ)からColunga(コルンガ)までは、国道N-632を歩く。若い人たちへは、遠回りの道を教えつつ、一人のご婦人と示し合わせ近道で進むことにした。フランス人のメアリーである。ユーカリがフランスもスペインも増え過ぎて困っているという。理由は聞かなかったが。
Streets of Colunga(コルンガの町並み)(11:53)
この反対側の一段低くなった平原でカーレース。爆音が鳴り響く。
そこへブラジル人Igor(イゴー)がやってきた。ご婦人はパンを買うというのでこの町のどこかに消えている。
13:00-13:20 軽食休憩
彼とその後のきつい登りをぜいぜい言いながら標高192mのLa Llera(ラ・ジェラ)の峠まで登る。
13:55 La Llera
Pass road at La Llera(ラ・ジェラの峠道)(13:56)
登り切ったところが192mの峠。
Rio de Villaviciosa and it's estuary from pass of La Llera
(ビリャビシオサ川 河口付近の景観 峠から眺望)(13:56)
ここまでくればVillaviciosa(ビリャビシオサ)はもう近い。しかしここでイゴーが言うには、ここには安い公営のアルベルゲが無いのだという。その前にあるTornón(トルノン)のドナティボの宿か、テントをという。昨晩も海岸沿いにあったキャンプ地でテントを張っている。訳があった。Bankカードを失くしてしまい今現金の持ち合わせが非常に少なくなっているから節約しなければならないのだという。
ブラジル人ながらダブリンのレストランで働いており新しいカードをボスに連絡して手配してもらっていて次の大きな町Oviedoで受け取れるかもしれないという。プリミティボへ彼はこれから進んでいく。
14:50 Sebrayo アルベルゲ通過。
15:30 Tornon (トルノン)の「pay as you wash 」のホステル(Pilglims welcome at
La Liamarga)を訪ねた。炎天下で倒れそうになりながら。だが過酷にも10人分は予約で満杯だと。公営ではないので、あらかじめ電話で予約しておくべきであった。水を満タンにさせてもらい、テント場所を探す。
Villaviciosa(ビリャビシオサ)へ行く途中の牧場に恰好のユーカリ林があり、道もついているが行き止まりとなっている場所があった。そこを野営地と決めた。
しかしまだ外は明るいので、テントは張らず、暗くなるまでマットを敷いてお喋り。夕食を作ったりしながら時を稼ぐ。漆黒となってきたのでテントを張って就寝。
Map: Between
Ribadesella and Tornon
(リバデセヤからトルノン(tent泊)までの地図)
Elevation Profile :Between
Ribadesella and Tornon
(リバデセヤからトルノン(tent泊)までの地図の標高プロフィール)
Max192m
【35.9/19(月) Tornón(トルノン)からGijón(ヒホン)まで】+【Memoirs40--the 16th day of Camino del Norte】
今日のコースはVillaviciosa(ビリャビシオサ)、La Olla(ラ・オジャ)、Campings Deva(キャンピング・デバ)を経由して、Gijón(ヒホン)までの30km。町の中心部からは東寄りのCalle del Prof. Pérez Pimentel(プロフェソール・ペレス・ピメンテル)通りにあるアルベルゲ(El Peregrín Hostel)に電話で予約を入れてある。
Igor's tent in eucalyptus(ユーカリ林のIgorのテント)(6:47)
さてTornón(トルノン)(Muslera(ムスレラ))のテントを出れば、すぐにVillaviciosa(ビリャビシオサ)の町。ビリャビシオサ川に沿ってAmandi(アマンディ)まで行くと分岐がいくつもあるので注意が必要。
最初の分岐は高速のA-64が向かう方向、すなわちOviedo(オビエド)へ(19_03_009_aポイント)。380mほど先にもう一つの分岐。黄色い矢印は3kmほど遠回りの山道コースを指すが、これを行くよりVV-10をそのまままっすぐ進めばよかった。遠回りの道は、高速道路を2つも潜りながら高度を上げ東向きに戻るようなcamino道である。戻るなんてまっぴらご免である。そいう心理が働くようなcamino道。
無駄のない一本道が好きなのである。さてNiéveras(ニエヴェラス)からAlto de la Cruz(アルト・デ・ラ・クルス)で今日の最高地点450mの峠に到達する。(19_03_010_cポイント)
Alto de la Cruz(アルト・デ・ラ・クルス)(10:46)
10:48 峠 休憩。
11:40 Peón(ペオン)でsports drink休憩。
Peón(ペオン)の町に降り下ったところで、再び厳しい登りが待っていた。La Olla(ラ・オジャ)の271mの高地に達する。この二度の登りでかなりダメージ。もうへとへとである。
distant view of Gijón from La
Olla(ラ・オジャからヒホンを遠望)(12:29)
あと3kmでBar有りと"閉店中"のレストランのオーナが言う。恐らく車での距離を言ったのだろう。普通の人に道を聞いてはいけないのだ、こちらは辛いcamino 道。急坂につぐ急坂。4kmも歩いているのにレストランの影さえ見えず。高速を潜って2kmもたった頃 郊外型レストランLa Curuxaを発見。むさ苦しい格好ながらテラスで昼食。
13:10-14:35 8ユーロ 少し贅沢だったか。1st--Fabada Asturaina(豆とソーセージの煮込みでAsturaina の名物という。)、2nd はチキン。
さてGijon まで5km
1.3km降りた所にキャンプ場あり。巡礼には5ユーロという破格の値段でキャビンを提供している所。入り口に近い四辻にフランス人夫婦が立っていてたので声を掛ける。なんとブルターニュからだという。JacqueとPochonと言う。話が盛り上がりキャンプ場のカフェテラスで続きの話を。すっかり打ち解けあったが、小生は電話予約したばかりの市内のホテルへと。
15:45 出発。この場合でも経路は2つ。N-632の大きな通りを避け、Camin del Estanco(エスタンコ通り)など町中の湾曲した道を下っていく。
16:20-40 スーパーにより買い物。無花果いちじく Higo Blanco、グレープフルーツ:Pomero、カップヌードル:Yatekomo Gallina Blanca などを買い求める、
Calle Ezcurdia of Gijón (ヒホンのエスクルディア通り)
(skeched at 19:15 in angle of 332°)
Gijon のアルベルゲで一緒になった女性はポーランド学生の2人。デンマークからのご夫人、マドリードに住むスペイン男性の5人。男性はチベット人と友達だといい、数珠を手首に巻いていた。ビーチからのサンペドロ教会の景色が一番だという。明日はスケッチタイムを設けもう少しゆっくり歩いてみよう。
Map: Between
Tornón and Gijón
(トルノン(tent泊)からヒホンまでの地図)
Elevation Profile :Between
Ribadesella and Tornón
(トルノン(tent泊)からヒホンまでの標高プロフィール)
Max450m
【36.9/20(火)Gijón(ヒホン)からAviles(アヴィレス)まで】+【Memoirs41--the
17th day of Camino del Norte】
今日のコースはGijón(ヒホン)→Veriña(ベリニャ)→Poago(ポアゴ)→Santa Eulalia(サンタ・エウラリア)→Tamón(タモン)→Trasona(トランソナ)を経てAvilés (アヴィレス)までの29km。
ヒホンのアルベルゲ(El Peregrín Hostel)は町の東外れ。ここを出て、まっすぐCalle Ezcurdia of Gijón (エスクルディア通り)を2kmほど進んで海岸に出てもよいのだが、ガリシア出身の映画俳優張りの男性が前を行くように、いきなり海岸に出てしまったほうが気分は爽快。
これは遥か先にCimadevilla(シマデビージャ)という出っ張った半島のような旧市街地を見渡せ、Iglesia de San Pedro教会やCapilla de San Lorenzo(サン・ロレンソのチャペル)など聖域の建物が層をなしてそびえ大絶景が楽しめるコースである。
湾曲した海岸線の広々とした遊歩道はそぞろ歩きやジョギングの人たちでにぎわっていた。
8:30-45 Gijon浜辺でスケッチ 巡礼一人も通らず。
Iglesia de San Pedro-Gijón(ヒホン) (ヒホンの海岸から教会を遠望)
(skeched at 8:41 in angle of 351°)
サン・ペドロ教会
Iglesia de San Pedro-Gijón(ヒホン) (ヒホンの海岸から教会を遠望)
(skeched at 8:41 in angle of 351°)
サン・ペドロ教会
今日のコースはGijón(ヒホン)→Veriña(ベリニャ)→Poago(ポアゴ)→Santa Eulalia(サンタ・エウラリア)→Tamón(タモン)→Trasona(トランソナ)を経てAvilés (アヴィレス)までの29km。
ヒホンのアルベルゲ(El Peregrín Hostel)は町の東外れ。ここを出て、まっすぐCalle Ezcurdia of Gijón (エスクルディア通り)を2kmほど進んで海岸に出てもよいのだが、ガリシア出身の映画俳優張りの男性が前を行くように、いきなり海岸に出てしまったほうが気分は爽快。
これは遥か先にCimadevilla(シマデビージャ)という出っ張った半島のような旧市街地を見渡せ、Iglesia de San Pedro教会やCapilla de San Lorenzo(サン・ロレンソのチャペル)など聖域の建物が層をなしてそびえ大絶景が楽しめるコースである。
湾曲した海岸線の広々とした遊歩道はそぞろ歩きやジョギングの人たちでにぎわっていた。
海水の温度は何度くらいあったのかしら。9月20日の北スペインである。曇りで雨模様。15,6℃くらいであろうか。満潮により堤から砂浜に降りるスロープが途中から海水で埋まっている。ちょうど泳ぎ出すには都合がよい。男女20人くらいが水に入って泳ぎだした。寒中水泳のような形である。毎日泳いでいるグループなのであろう。
Promenade of Gijón(ヒホンの海岸通り)(8:23)
満潮時に歩道まで溢れた海水がまだ残っていた。
さて、ヒホンの西側は別の湾が控え、ヨットハーバーから港湾関係の施設がひしめく。湾沿いにはいかず、西向きに舵を切る。Avilés (アヴィレス)までは一辺20kmくらいの三角形をなす大きな半島のように付きだした地形の底辺部分、すなわち内陸部分を横断していくのだ。
The factory zone of Veriña nearby Gijón(ベリニャの工場地帯)(10:01)
ほどなくベリニャの大工場地帯に入る。予め分かっていればこの部分(Gijón(ヒホン)-Avilés (アヴィレス))はバスか鉄道でスルーしたかもしれない。しかも直進しようとするとXのマークもあり不思議。さらにバイク用の矢印はもあり別の方向へといざない間違えやすい。実際間違ってしまったのだ。
鉄道、工場の隙間をトラックがうなりをあげて通過する。
10:57 工場を抜け丘を上り詰めると標高171mの平坦な丘。 軽食休憩11:24 出発。平坦な切り開かれた森が続き、次第にまた町に下っていく。道路に沿った歩道をどこまでも歩いて行くとAvilés (アヴィレス)に到着した。湾の最深部分に位置し工業地帯が運河に沿って続いている。Avilés の空気は悪かろうというのがもっぱらの噂。しかしそんな事は感じられなかったが。
14:50 Aviles(アヴィレス)のアルベルゲ。雲ってきたので今日は終わりとする。余った時間で少し今までのことを整理。
Juan ignacioユアンはバイク人。毎日100kmを飛ばすという、イルンからSCまでをたったの8日間。8時出発-15時到着の日々という、ニックネームはPepinぺピン。
Jose ホセが名前のガリシア人はS.Vicento de la Barquera から4日くらいアルベルゲで一緒。
ヒホンの手前で会ったJacques Pochon 夫婦とアルベルゲで再会。ブルターニュでは井本勝が有名であると。波動水で全てが治るとーいう、
The film lumiere、Masaru
emoto、The
book la revolution d`un seul brin de paille
などインタネットを調べよという。!
Calle Rivero Avilés (リベロ通り・・アヴィレス)(skeched
at 18:13 in angle of 9°)
この先がPlaza España(エスパーニャ広場)。この通りが最も人通りが多い。
この先のMaarizのアルベルゲの女将兼前衛画家がこの絵を見て
「私の絵に合う」と言ってくれた唯一の絵である。
黒いのは、出窓の部分。狭い通りにせり出すように各部屋から”整然”と飛び出している。
Calle Rivero Avilés (リベロ通り・・アヴィレス)
(skeched at 18:37 in angle of 0°)
上の絵の更に南側。レストランが軒を並べる一角。少し道路が広くなる。
カラーのブロックが敷き詰めらている。
立派な公園が都市の重要な部分を占めている。疲れた身体にはこういう広大な緑が効くものである。
Parque de Ferrera(アビレスの公園18:26)
Map: Between
Gijón and Avilés
(ヒホンから アヴィレスまでの地図)
Elevation Profile :Between Gijón
and Avilés
(ヒホンから アヴィレスまでの標高プロフィール)
Max170m
【37.9/21(水) Aviles(アヴィレス)からSoto de Luina(ソト・デ・ルイナ)まで】+【Memoirs42--the 18th day of Camino del Norte】
今日のコースは、Aviles(アヴィレス) --Salinas --San M.de La--Vallinas --Naveces--Antiago del
Mont.--Ramon--El Castillo--Muris de Nalon(ムロス・デ・ナロン)--El
Pito(エル・ピト)--Las Duenas--Rellayo--La
Magdalena--Sotomayor--Soto de Luina(ソト・デ・ルイナ)までの40km。
5:30 起床 7:00出発。昨夜のAvilés (アヴィレス)の公営アルベルゲ(Pedro Solís Pilgrims Hostel)は大きく56名が泊れた。知っている顔も多く、会話が弾む。
Soto de Luiña(ソト・デ・ルイニャ)までは相当長い距離のため途中のMuros de Nalón(ムロス・デ・ナロン)やEl Pito(エル・ピト)でも良かったのであるがSoto de Luiña(ソト・デ・ルイニャ)まで来てしまっている。
さて、Avilés (アヴィレス)の町は迷いやすい。真っ暗闇の早朝である。あまり矢印がない上、大都市の太い道でどちらに曲がっても合っているような錯覚。人のあとを付けていくと飛んでもないことに。映画俳優に似たcaminoのあとを付けていったが案の定、立ち止まり、地元の人に聞いている。こちらも悪い癖で、MyMapをあまり見ずにあてずっぽうで歩いているので迷いやすい。山道を下ればSalinas(サリーナス)の町など、いくつかの町が連なっている。ここを過ぎAeropuerto de
Asturias(アストゥリアス空港)近くまではBarなどが一切ない陸の孤島と聞いているので十分な食料を持参しての田舎歩き。
10:00 笑ってしまうのが、その名もずばりSantiago del Monte(サンティアゴ・デ・モンテ;monte=山、montée=登る(仏))の坂道。九十九折れとまではいかないが相当の傾斜角度の道を標高178mまで登る。
そこから2km先のpointで最初の休憩。山道の下り坂となる。川沿いの町El Castillo(エル・カスティージョ)の坂道に取り付く。
わずか30mほどの高低差ではあるが疲れている身にはつらいものがある。しかし絶景の風景。
El Castillo(エル・カスティージョ)(10:59)
この長い行程にはいくつもの絶景があった。余裕があれば何枚でも絵を描けたであろう。
Soto del Barco(ソト・デ・バルコ)からはcamino道は1kmも遠回りをさせられて橋に至る。近道の国道N-632があったのに惜しいことをした。回り道の方は生活道路でその先は「行き止まり」という標識。先端部分はN-632となんとわずか50cmのコンクリートブロックを置いて接している。この間矢印が全くなく不安な気持ちになる。My Map上はこんなに遠回りをすることにはなっていなかったのだ。
12:20 丘の上の町、Muros de Nalon(ムロス・デ・ナロン) でBar休憩。手前の丘の上でドイツ人母娘と会う。Panasonicのカメラを持ちながらセルフタイマーを使った事がないようだ。娘さんが操作をし仲良く3人で記念撮影。開放されたひとときだ。--12:45
Camino 道らしい土の道を下る--山の中--13:06
4.2km ほどカウントしていたらEl Pito に到着。静かな街道、ユーカリの大木の並木道。広大なイギリス庭園が右手に広がる。教会あり。名所のようだ。
このメモの直後左折しなければならなかったpoint(19_05_010_dポイント) を見過ごしかなり遠回りとなる。fのポイントで漸くcamino 道にもどる。
La Magdalena(ラ・マグダレナ)(15:19)
ここを降りると海岸。ここにテントを張ろうかと思ってソーラーパネルでバッテリーにチャージ。途中で会ったcaminoジャコモが再び追いついた。水がないキャンプ場だったのでここを退散。彼を追いかける形で再び旅装になりSoto de Luiña(ソト・デ・ルイニャ)に向かう。
2km手前の村はチロルのような素晴らしい景観。岐阜県恵那市にある棚田を思わせる斜面はこちらでは牧草。車道がそこを縫っている。camino 道は農家の庭先をかすめるようにして通っている。
San Martín de Luiña from Mumayor
(ムマヨル村よりサン・マルティン・デ・ルイニャの方向を眺望 )(16:17)
日本で言う棚田に似た風景。ここでは牧草地に替わっている。九十九折れの道が斜面を這う。
Mumayor(ムマヨル)(16:18)
気持ち良い田舎の道
16:45 Soto de Luina 到着。公営アルベルゲSoto
de Luiña Pilgrims Hostelは6€。19:00にホスピタレロPepeがハンコを持って到着する。あらかじめ近くのBarで精算を済ませておく必要がある。大きな庭がありみんなそこで寛いでいる。16:45などと遅い到着では洗濯物の干す時間が短いのであるがこちらは全て速乾性の衣類であるので殆ど影響はない。パラグアイからのGeorg ジョージと会う。
明日のコースについて詳細な説明。コスタコースが良いであろうと。WiFiの無いアルベルゲであるがBarに行くのを止めスーパーで買ってきた食材で食事。イタリア人Giacomo と一緒。今日のコースは40kmにup-down850mを考慮すると49kmレベル。よく歩いたものだ。
Soto de Luiña from Pilgrims Hostel
(ソト・デ・ルイニャのアルベルゲより町を見下ろす)
(skeched at 18:21 in angle of 180°)
。
Map: Between
Avilés and Soto de Luiña
(アヴィレスからソト・デ・ルイニャまでの地図)
Elevation Profile :Between
Avilés and Soto de Luiña
(アヴィレスからソト・デ・ルイニャまでの標高プロフィール)
Max178m
【38.9/22(木)Soto de Luiña(ソト・デ・ルイニャ)から−Luarca(ルアルカ)まで】
+ Memoirs43--the 19th day of
Camino del Norte】
今日のコースはアルベルゲ(Soto de Luiña Pilgrims Hostel)お薦めの海岸コース。
Soto de Luiña(ソト・デ・ルイニャ)−--Valdred--Albuerne--Novellana--Castaneras--Santa
Marina---Ballota--Tablizo-Ribon--Friera--Cadavedo--Villademoros--San
Crstobal--Queruas--Canero--Puente de C.--Barcia-- Almuña(アルムニャ)−Luarca(ルアルカ)までの35km
5:30 起床。アルベルゲ(Soto
de Luiña Pilgrims Hostel)の朝は早い。別室にすでにリュックなどの荷物は退避してある。ベッドをそっと起き静かに旅装を整え出発。一番部隊である。歩く距離が長いのでいつもこんな感じ。アルベルゲの庭を歩いて静かに出ていく。街中は街灯が灯り明るいが、すぐ道路わきの森へ分け入る。ここは漆黒の闇夜である。
こんなに真っ暗なのは久々である。100mも登ると高速が走っている場所へと出て来る。camino道はここで、「山コース」と「海岸コース」に分かれる。昨夜しきりにホスピタレロが宣伝していたように海岸コースを行く。昨日ほどの起伏がないものの今日も35kmほどの長丁場。
N632aの国道を下り、谷に下りて登り返すという行程を5回ほど繰り返す。100mのup-downは身体にこたえる。4回目でやっと考えてみた。このまま国道をいても良し、谷底に下りて登り返すしても良しと。
どちらが労力が少ないかと。谷筋ルートは1.7kmであるが国道による大回りは2.7kmもある。しかし例のup-downを10倍するという計算方法では谷筋ルートは3.7kmレベルとなり国道のほうが楽という計算。迷わず国道を歩くcamino もいて面白い。この海岸コース、名前がよいが海岸は少ししか見えず大部分は深い森の中。山コースのほうが景観が良かったのかもしれない。今後"コスタ(海岸)コース"は"海岸に近いジャングルコースかつup-down非常に厳しいコース"と名前を改めるべきではないだろうか、。
Novellana(ノベリャナ)→Castañeras(カスタニェラス)(8:49)
しかしながら一回だけ海岸コースという名にふさわしい場所があった。Ribón(リボン)の断崖である。
Cliff of Ribón(リボンの断崖)(11:01)
海を見たあとはすぐ国道への登りとなる。
10:00 Santa Marina Barでカフェコンレチェ休憩。
12:30-13:15 Cadavedo の上で昼食休憩。
14:55-15:00 Rarcia My Mapでのpoint 19_07_004
b 休憩。
15:54 Luarca 着。
Maps.Meによる現在位置確認は3分以上かかる上、結局"分かりません"とoutputされることがしばしば。もう使うのは止めにしよう。バッテリーの消費も甚だしい。
My Mapだけで十分である。あらゆる曲がり角が正確に記されているから寧ろ電源を入れっぱなしして常時My
Mapを見るようにすれば現在位置確認の必要は無い。
Luarca の町に比較的早く着いたもののアルベルゲ的には最終客に近くすぐコンプリになったようだ。北向に港が開けた意外は東西と南側に急峻な崖に囲まれた谷底のような町にである。camino 道から町に下りていくところで老人がアルベルゲまで案内をしてくれた。きつい坂道を何回も登り降りしているにであろう、足腰がしっかりしている。途中の見事な景観を描こうとしてこの道をまた戻っていった。camino 道を逆に歩くということは前向きのマークが見えないため至難の業。ポルトガルへの道が逆コースとなるためそれこそマークを頼らずMy Mapのみで進行しなければならない。覚悟をした次第にだ。本日の行程は計画時点より17kmアドバンスである。
Entrance of Luarca(ルアルカ入り口)(15:53)
View of Luarca(ルアルカの町入り口より町を見下ろす)
(skeched at 18:30 in angle of 268°)
対岸の丘の上にチャペルがひっそりと建っている。
Tunnel Viewing of Luarca(ルアルカのトンネルより)
(skeched at 18:55 in angle of 0°)
Map: Between Soto
de Luiña and Luarca
(ソト・デ・ルイニャからルアルカまでの地図)
Elevation Profile :Between Soto
de Luiña and Luarca
(ソト・デ・ルイニャからルアルカまでの標高プロフィール)
厳しいup-downの道のり。Luarca直前の一番低い箇所がCaroyás(カロヤス)で8m。
内陸であるが川底が海岸レベルとなっている箇所。
Max161m
Camino徒然
■ユーカリ林
常緑樹だからこそコアラが年中食べることができる。
北スペインは森がユーカリで埋め尽くされている感じだ。バスコからガリシアまでのcamino道。散り敷いたユーカリの葉っぱを踏みしめながら何百キロ歩いたことだろう。芳しい葉っぱの匂い、薄い茶色の木肌、削がれた50cmばかりの樹木の外皮。葉っぱは時計回りに回転するものと反時計回りの2種類。弧をなして反り返る。長い葉っぱは葉柄に近い部分が太く先に行くに従って細くなる。まあ全体を見るとだらしなく垂れ下がる。
地面に落ちればかっての反りかりは無くなりぺしゃんこの円弧を成した落ち葉となる。きつい坂道ではこの落ち葉の香りにどれだけ助けーられたであろうか。
この匂いの効能はこれだけにとどまらない。ハエや蚊さえも少なくしている。日本の夏山のように五月蝿くまとわりつくということがユーカリ林に関しては皆無であった。素晴らしいことでは
qないか。軽量なザックでルンルン気分で再度歩いてみたいものだ。
■道のValue
今までどれほどの道を歩いて来たことだろう。ランク付けを試みてみた。
道のValue=K(景観)+F(形態)+I(傾斜)+Q(質)+S(音)
掛け算かも知れないがここでは足し算として記述する。
1人通れればよいので道の幅は言及していない。また長さ、気象条件などの不確定要素、前後の道の情況なども考慮はせず。
景観---20点--開けた牧草地、海の見える景色、チロルを思わせる山の風景など。18--緑陰の中 0点--閉塞感のあるトンネル、塀で囲まれた暗い場所など。
形態---20 草道、18 浮き石が出ていない整備された土道、16
浮き石が目立つ土道 14 砂道、砂浜、板道、石畳 12--石ごろの荒れた道 10 階段 8 車の余り通らない一般道、-------0--ガンガン車が通る国道
傾斜---20 平坦 18 緩い下り坂 16 緩い登り坂、14 きつい下り坂 12 きつい登り坂道 10 とても厳しい下り坂 8 とても厳しい登り坂 6 段差1mもある岩ごろの登り坂 4 段差1mもある岩ごろの下り坂
質---20 乾いた道 10 湿っているがまぁまぁ歩ける道 2 泥んこ道
音 20 小鳥のさえずりのある道、0 高速道路の激しい走行音が絶えず聞こえる道
しこうして最高点は
開けた牧草地で牛が草を喰み海が見える景色を、乾いており、平坦な草道を歩み、木々から小鳥の声が聞こえてくるような道が100点だ。皆にも聞いてみた。同様であると。一様に国道が0点という厳しい評価である。小生にはこちらのほうが楽ではあるがcamino道ではないと言い切る。
道を考えるとき上記で外した色んな条件やその日の気分などおそらく全ての要素が含まれる。土の道は想いに寄り添ってくれる。コンクリは想いを跳ね返す。
道を歩くというのは人生を歩くのと似ている。up-downしかり。どれもずっとは続かない。論文ができるのではないかと思うぐらい深いテーマである。
■食事
一体アルベルゲや休憩時 なにを食べているのであろうか。
最近嵌まっているのがYatekomoというブランドのVerduras 野菜ラーメンと焼きそば。殆んどのアルベルゲでは電子レンジが用意されている。熱湯を注ぎ3分待てばできあがり。多目にお湯をいれその分カチカチになったパンなどを浮かべ吸わせるのだ。もう立派なスペイン料理に早変わり。mixサラダ(蝶々結びになったマカロニ、輪切りになったオリーブ、クレソンなどの多種の葉っぱ類、ニンジンの超細切り、レタスやハム。よくもまぁ細々と詰め込んだものだ。大量生産される現場を想像すると笑えてくる。あちこちからコロコロと野菜がやってきてパック詰め合さてるのだ。これが笑えずにみていられようか。)やこれまたチンして食べられるカルボナーラ、ビールを付けて5ユーロ以下という夕食が出来上がる。
朝食はパンと魚介類の缶詰、プロセスチーズ、バナナ、ぶどう(この時期ブドウがとても甘くて美味しい。)、オレンジーーしっかりと食べ朝一の歩行に備える。
道中は缶詰やサラダを除いて朝食とほぼ同じ。この分がリュックを重くしていることになるが、何十km店がなくても大丈夫という安心感を背負っていることにしている。
その他にナッツ類や菓子パンなど。
さてここで問題が。ラーメンは日本にいるときのようにズルズル啜りたい。ところがヨーロッパ文化圏では、食事に音は禁物である。スープやワインなど口に含むとき、ビールを飲むとき音を立てない。
オレンジは皮ぎりぎりまでジューシーさを強調するようにジュージューと啜って食べたい。
こちらでは無用。
よって野原では思いの丈、音を立てて食べている。あぁ早くアジアに戻りたい。
【39.9/23(金)Luarca(ルアルカ)からLa Caridad(A Caridá ラ・カリダ)まで】+
【Memoirs44--the 20th day of Camino del Norte】
今日は、Luarca(ルアルカ)からCartavio(カルタビオ)を経てLa
Caridad(A Caridá ラ・カリダ)までの33km。
Luarca(ルアルカ)のアルベルゲ(Villa de
Luarca Hostel)では一人の青年が孤独に何も語らず粛々と準備を整え出かけて行った。その2番手になったのが小生である。あとあと一緒の行動になるポーランド人Dariusz Brosig(ダリウス)である。8000kmの旅を自宅往復でマルセイユ周りで帰るという驚異の青年であった。
4:30起床、6:45出発。
Villuir(ビリュイル)→Hervedosas(エルペドサス)→Bao y Barayo(バオ・イ・バラヨ)の高原では丘の上から高速道路に国道N-634が絡む姿が一大パノラマのように展望される。
Google Earth上で短絡路を見つけておいたのに、その道は森を下っていく工事用道路であった。そのまま進んでもよかったのであるが、600mくらいの遠回りの林道を進む。この遠回りと分かっていながら矢印の方向に正直に道を取ることが本当によいことだろうかと一瞬悩むわけである。
時間が許すなら下りきった場所から、目星を付けた最初の場所まで短絡路を戻ってその正当性をチェックしたいところである。しかし先を急ぐため省略。
Bao y Barayo(バオ・イ・バラヨ)の村まで反対側の丘をぜいぜい言いながら、犬にも吠えられながら登っていく場所に、一番出発のDariuszダリウスに追いついた。かれも朝方の暗い道を一人黙々と登ってきたのであろう。
Hervedosas(エルペドサス)(8:45)
左手に見えるガードレールが短絡路。しかし矢印に沿って手前の道を進む。
Bao y Barayo(バオ・イ・バラヨ手前のN-634と高速)(9:01)
9:28-55 19_07_011 b-320m point 追い抜いた場所から2km弱でN-634の国道に出た。野球場のようなところの芝生に上がりマットを広げて今日最初の休憩を取る。
Dariuszが前を通過していく。そのまま国道を西へ進んでいく。なんの迷いもなしに。ショートカットあり、最初に出発した無口なcamino 矢印を見落としたか国道をそのまま進む。
彼がパスしたcamino道、この1.7kmの道にcamino の全てがあった。
まずコンクリの田舎道を教会に向かって進む。途中線路をくぐる。道は先ほどの国道に向かうように大きく曲がっていく。幾つかの分岐も矢印を印刷した看板が誘導してくれる。ここまでは普通。行き止まりの標識がある道を下り、道はそのまま農道になる。農道も尽きて森に入っていく。この辺りから標識はなくなる。何km曲がりくねっていても確かな足跡が自然に誘導してくれる。極端な曲がり方をしない限り森では標識が無い。小川に渡された橋を渡るようだ。道は細く荒れている。線路に戻り返すとおもったがもはや線路は無い。何処にいったのだろう。荒れた小路を上がっていく。僅な農家の隙間からコンクリの道路に出た、やっとここで矢印を発見。不安な気持ちもここでreset。無事生還を果たしたようだ。そのうちに国道と合流。ざっとこんな感じだ。国道を進んだらこのスリルは味わえない。これがcaminoだと言わんばかりのcamino 道であった。
もう一つ、どの細道を通っていても車が来なかったためしはない。車が、または耕作車が、通れる道ならばそれらが必ず来るのだ。いかにスペイン人は働き者であることよ。天上から見れば蟻が忙しく動き回っている感じだ。先日農道を縫うcamino 道からはずれてマットを敷いて寝ていたら細い農道を2台も車が通った。そのうちお乳が膨れに膨れた乳牛を引っ張っていく農夫が通りかかった。要するにどの道も頻繁に車が通る!
10:55 19_08_001 d point La Venta
11:04 La Colorada 手前1.5km
19_08_002 a point
11:34 Navia のcenter 樹木の並木道。ベンチがずらりとあり、昼食休憩。持っているものをあらかた食べる!目標は近い!この頃になるとcaminoの姿が目に付く。華やかな通り。ナビア川を渡って再び田舎道へ。
Navia(ナビア)(12:05)
この道のり--フランス人の道に似て多少の起伏があるもののほぼ平坦。もう山が終わってしまったのだろうか。
Navia
(ナビア川の向こうにナビアの町並みを高台から振り返る)(12:17)
さて、目的地のA Caridá(La Caridad(ラ・カリダー))までには幾多のcaminoを追い越し13時台に到着。このアルベルゲ(A Caridá Pilgrim Hostel)は定員18名で14:45には満杯になった。あわただしくてしょうがない、皆、時速5kmで歩く。此方は重たい荷物。彼らは7-8kg、この競争に如何に勝つかが勝負。
La Caridad(A Caridá ラ・カリダ)(skeched
at 15:59 in angle of 306°)
Map: Between Soto
de Luiña and Luarca
(ソト・デ・ルイニャからルアルカまでの地図)
Elevation Profile :Between Soto
de Luiña and Luarca
(ソト・デ・ルイニャからルアルカまでの標高プロフィール)
Max175m
この頃になるともはや高い山は無くなった。ガリシア地方までは比較的平坦な道が続く。
【40.9/24(土)La Caridad(A Caridá ラ・カリダ)からRibadeo(リバデオ)まで】+ Memoirs45--the 21th day of Camino del Norte】
今日は、A
Caridá(La Caridad(ラ・カリダー))を出発しEl
Franco(エル・フランコ)→Porcia(ポルシア)→Cabo
de Branco(カボ・デ・ブランコ ブランコ岬)→Tapia de Casariego(タピア・デ・カサリエゴ カサリエゴの壁)→Figueras(フィゲラス)(ASTURIAS)を経由してガリシア側に入りRibadeo(リバデオ)までの34km。
今日は見るべきものが多い。朝4時頃出発したいが小さなアルベルゲでは迷惑となろう。まぁ6時予定で5時頃からごそごそと。2、3人くらいが起き出してくる。ポーランド人が一番早い。昨日のように朝食を取らずに一番で出発。
6:02 A Caridá(La Caridad(ラ・カリダー)のアルベルゲ(A Caridá Pilgrims Hostel)を出立。真っ暗な町の一本道FR-1を西に行くものの、短絡ルートを見落としS字カーブの車道をそのまま行くはめに。
日の出までにはCabo de Branco(カボ・デ・ブランコ ブランコ岬)には行きたい。
途中で幹線ルートのN-634で合流する。ここで前を行くcamino数人のシルエット。El Franco(エル・フランコ)からは車道を外れてcamino道を行くのが正解なのにずんずん車道を行く。大声で間違っていると言ってあげるが、逆にその声から僕だと分ったらしく、「先を急ぐためにこのままでよいのだ」とこたえが返ってくる。なぜ皆こんなに急ぐのか訳がわからん。海岸コースがこれから見どころ満載なのに! あまり興味がなにのかもしれない。遠道だし。
Cabo de Brancoへの分岐を見付けたので、分け入る。なかなか海岸は見えず遥かな大地が展開されるのみである。起伏のある丘をup-downしていっても東に連なる丘を越していくばかりである。しょうがなく90°方角を折れ北に進んでみることにした。
漸く海である。トウモロコシ畑が断崖の縁まで植えられている地域で、なかなか見通しが悪い。雑草もトゲトゲの草ばかりで侵入を拒む。絵を描こうにもパレットを置く隙間もないほど茨がじゃまをする。6kmくらい進んだところでようやく明るくなりだす。Cabo de Banco を見るために分岐路を2km進む。日の出8時20分、随分遅くなってきた。冬時間が待ち遠しい。
sunrise at Cabo de Branco
(ブランコ岬の日の出)(8:20)
トウモロコシ畑の連なる道の向こうに朝日が上がる。
Cabo de Branco(カボ・デ・ブランコ ブランコ岬)
(skeched at 8:45 in angle of 288°)
Cabo de Branco(カボ・デ・ブランコ ブランコ岬)
(skeched at 9:12 in angle of 90°)
8:30スケッチ、軽食休憩。9:35
そこを引き返し本道に戻り、Tapia de Casariego(タピア・デ・カサリエゴ)に向かう。10:20
着。15mほどの絶壁が織りなす海岸線が展開された。ここには救護所のような無人のアルベルゲ(Tapia de Casariego Pilgrims Hostel)が建っていた。そこが展望台となっており絶景が楽しめた。しかし岩手県田野畑の北山崎の100m級の断崖を見たものにとっては月とスッポン。失礼ながら日本人としては感嘆の声を上げることができなかった。Tapia de Casariegoはリアス式海岸の一大リゾート地区で、周囲はトレッキングルートとなっていて総合的に楽しむ風景のようである。スケッチ2枚。10:55出発。
Tapia de Casariego(タピア(壁)・デ・カサリエゴ)
(skeched at 10:20 in angle of 356°)
11:30 浜辺を見下ろす展望台
Tapia de Casariego(タピア・デ・カサリエゴ カサリエゴ)からも幾つかルートはあるが、もともとテントを張る予定で海岸線を行くトレッキングルートを取る予定であったためその地点も見ておきたいと思い敢えて遠回りをする。なかなかの絶景続きのハイキングであった。
Playa de Penarronda(ペナロンダ・ビーチ)(12:15)
テントを張る予定だった台地。
Fondo del Prado of Santa Gadea(サンタ・ガデア)(12:15)
13:20 Ribadeo へ渡す橋。
さて、Figueras(フィゲラス)(ASTURIAS)の町がアストゥリアス最後の町で、入り江Ria de Ribadeo o del Eo(リア・デ・リバデオ・オ・デル・エオ)を渡ってガリシア州に入る。この橋、海の部分が550mもある長大な橋である。鉄橋の総延長は1km。歩道は850mで無罪放免で階段で離れている。高さ35mという目もくらむ橋。
小さく映るが巨大な橋である。人道はフェンスに仕切られたわずかなスペース。
14:00 Hotel Ros Mary停泊。
橋を渡ったところを少し戻り返すとTapia de Casariegoにあったと同じような小さな12人収容のアルベルゲ((Ribadeo Pilgrims Hostel 6€)があったが脇目も振らず市内へと向かう。安いアルベルゲも良いのであるがたまには贅沢してみたい。電子レンジが使えないという不便があった分、外で肉を食べたい!
RACION "Costa Verde"で夕食。Lacon
Cocido a la Gallega ガリシア仔牛のサーロインステーキ8ユーロをオーダー。十分であろうか。
Ribadeo(リバデオの町)(18:45)
Castropol,other side from Ribadeo
(リバデオのから対岸の町:カストロポル)
(skeched at 19:03 in angle of 146°)
この景色! 灰色の屋根、白い壁。一枚の絵である。
Torre de los Morend in Ribadeo(リバデオの歴史遺産)
(skeched at 19:30 in angle of 320°)
1912年建造の家。
中心部は人で溢れている。雨が降り出した。急いでホテルに戻る。
Map: Between La Caridad and
Ribadeo
(ラ・カリダーからリバデオまでの地図)
Elevation Profile :Between La
Caridad and Ribadeo
(ラ・カリダーからリバデオまでの標高プロフィール)
タピア・デ・カサリエゴから先は海岸線を行くが意外と遠い道のりであった。
当初はこの海岸線のどこかで野営する予定であった。
Max65m
【41.9/25(日)Ribadeo(リバデオ)からMaariz (マーリッツ)まで】+【Memoirs46--the
22th day of Camino del Norte】
今日は、Ribadeo(リバデオ)→Vilela→Vilar→O Esfolado→A Ponte→Villamarin Pequeno→Villarmarin
Grande→Gondán(ゴンドン)→San Xusto→O
Corveiro→Laurenzá→Arroxo→S.Pedro de la →Mondoñedo(モンドニェド)を経てMaariz (マーリッツ)までの40km。
昨夜は久々というか、Camino del
Norteで初めてのホテル(Ros Mary)泊。6€などと安いアルベルゲばかりであったのがいきなりバスタブ付きのホテルなどと。貧しい旅装に不相応な部屋であった。ホテルは朝食付きというがリュックの食材も減らさなくてはならない。果物中心の軽い食事をしてフル装備で玄関に降りていくと全く人の気配が無い。食堂も閉まっておれば玄関さえも内から鍵が掛かっている。進行を阻まれた上に朝食も期待できないとは。しかもまだ精算が終わっていない! 待つ間、本日の行動を軽く予習。7:20くらいに当直のおじさんが起きてきた。コーヒーなども貰うことが出来ず現金精算をさせられとんだ誤算。貴重な紙幣を使わされた。
7:30 出発。身支度を整え雨が降っている戸外へ。camino道に戻り町中を街灯を頼りに歩いて行く。人っ子一人通らない市街は、外れの方では真っ暗闇となっていた。雨が止んだばかりの鋪道をcamino 道まで進む(My Map 19_09_001 cのpoint で合流)。
鉄道を越すと分岐路。地面にも矢印が描いてある。ややこしい道なのであろう。さっそく道に迷う。コンパスをあまり見なかったことが原因で奥まった私道に入り込んでしまう。
Maps.Meを起動して現在位置を確認しつつ、軌道修正。
あとはすこぶる順調。
8:42 カフェコンレチェ休憩。19_09_004 e point Vilelaの角にポツンと建つBarである。日曜のため開店しているのかがわからないが僅かにドアが開いている。外の椅子類は雨だったためにテーブルに寄せてある。中ではマスターが客待ち顔で新聞を読んでいた。
外でコーヒーを飲んでいたら車が一台滑り込んできた。巡礼を2人乗せて。市内から約6kmをスルーした方々である、または道に迷って地元の人に連れてきてもらったのかしら。taxiではなかったから。
例の帆立て貝のシンボルマークはガリシアに入ったとたんどうも様子が変だ。右へ行かなくてはならないのに左を向いている。長い線の方向が当たっている。ここで突然思い出した、誰かが言っていたのだ。ガリシアでは貝の向きが逆になるのだと。帆立て貝のシンボルの線の先端は円弧を成すが中心線が一際長く全体として矢印に見えなくはない。とすればガリシアの方が理にあっている。これを思い出すまでは何回立ち止まってMy Mapとコンパスを眺めたことだろう。
ここのBar トイレを聞くと鍵を渡され出て左にいけと。こういうシステムもあるものだ。ガリシアに入ってから山岳地帯。ユーカリからパワーを貰い俄然元気に!
morning haze of O Valín(オ・ヴァリンの朝もや)(8:04)
しばらく進むと森があり、狩猟をしている人達に遭遇。沢山の犬がcamino道を物知り顔で駆け抜けていく。このときポーランド以来の美しい鳥の鳴き声があった。ボイスレコーダーに記録する。ナイチンゲールだろうか。はたまたガビチョウであろうか。
10:30 Villamarin 近くの林道で日本人と会う。小川さんである。以前は日本カミーノデサンティヤゴ友の会でスタッフをされていた方である。小生のことを知っておられDr太田ですかと。いえいえエセ教授でした と笑い合う。ひさびさの日本語での会話。氏はオビエドから北の道へ入りSCを目指すという。
11:15 丘の上で、昼食休憩。camino 道から離れた小屋の陰。ところが板囲いの中に犬がいた。19_09_09 c point もうGondon に近い!
これから下りに転じる。11:55出発。
12:22 当初宿泊予定のGondon アルベルゲ通過。
O CorveiroのBarで、高速歩行のArnau Bardi Milaj(アルナウ)と会う。ここで今回の希望している宿泊場 Maaritz のアルベルゲに電話する。午後6時頃になるがよいのかと。快諾を得てさらに元気に。
アルナウが一緒であれば互いに切磋琢磨するので速いのである。「下り坂を走る」のではなく、「登り坂を走るcamino」という題で小生の姿をvideoに取り笑い転げる。Cataluña(カタルーニャ)に住む成年で流暢な英語を喋る。巡礼が終われば父の跡を継いで漁師になるのだと。菓子類のパッケージ設計のエンジニアのマネージャーであったと。こんな180度 方向転換の人生があろうか。笑は転換期の一瞬の寛ぎであったのかも。
Vilanova(Lourenzá)(ヴィラノヴァ付近)(14:44)
15:45 Mondoñedo(モンドニェド) 着。カテドラルをスケッチ。
Catedral de Mondoñedo
(モンドニェド大聖堂)(skeched
at 16:17 in angle of 132°)
Mondoñedo(モンドニェド)(16:23)
この景観は、フランス人の道のサモアと似ている。Ribadio からの巡礼者はまずここを目指す。しかし次のMaarizまで3km足を延ばすには勇気が必要である。ずっと登りが続くからである。
16:20出発。Maariz 17:17
アルベルゲらしい"邸宅"を発見。5月に旅をした日本人から聞いていたのだ。ここの女主人“カルメン”であることを。中を覗いたが人の気配がない。オーナーの名前「カルメン!」と叫ぶと谷底から"シー(はーい)"という声が。庭の椅子で少し待つ。鐘を鳴らせと玄関に貼り紙がしてあったらしいが。
ほどなくカルメンが作業服で現れた。泥だらけである。何百年も経つ古い家を買い求めここにやって来たという。周囲はユーカリの香りにみちあふれ小鳥が囀ずる素敵な山あいの村。ここに定着をしアルベルゲをopenさせ、抽象画を描く日本びいきのカルメン。本日の投宿者は小生1人。タイルなどは綺麗に彩飾されている。いかにも芸術家の庵であった。
洗濯機で全てを洗ってくれ外に干した後は暖炉の近くで乾かしてくれる。
夕食の鐘が鳴った。日本で使うような箸まで付いた夕食。ワカメの味噌汁風スープに炒めたご飯、目玉焼き、豆のスープ、パン。
こんな素晴らしいドナティボのアルベルゲを知らない。ここを紹介いしてくれたcamino 仲間に感謝。
さて夕食時、スケッチをチェックしてくてることになった。彼女はアクリルペインティングのスペシャリストである。曰く、Avilesの町のスケッチが一番であると。抽象画と並べマッチするではないかとあつく語る。わが家の2枚のスケッチは記念にスキャンさせてくれとも。絵の具で色づけしないほうが見る人のイマジネーションをかきたてると。あくまでも私の意見ではあるがと語る。今日の一日ほど魅力的な、エキサイティングな日はなかった。足を延ばしてよかった。
2人で食事をはじめて直ぐにマドリードからの来訪者、Gloria(グロリア)現れる。彼女の友達、若杉まさひろは カリグラファーを手掛けると。従兄が日本女性と結婚し北区に住む。2週間前に産まれたばかりの赤ちゃんの写真を見せてくれた。
今日はよく歩いた。約40kmにup-down1000mを加算すると見かけ50km。しかしまだもっと歩ける感じだ。もう身体が故障してしまったのではないか。登り坂でもrunning!できるようなロボットになってしまった。アルナウが動画を撮ってくてた。いずれfacebookにupされるかも。上り坂でも走るクレージーな日本人!と。
Maariz_1(マーリッツ)(skeched
at 18:29 in angle of 185°)
Maariz_2(マーリッツ)(skeched
at 19:07 in angle of 210°)
Maariz
(マーリッツ)の味噌汁Vilanova(Lourenzá)(14:44)
Caldo gallego(カルドガジェゴ:ガリシア風スープ)ではあるが、ワカメが入っていて日本風
Map: Between
Ribadeo and Maariz
(リバデオからマーリッツまでの地図)
Elevation Profile :Between
Ribadeo and Maariz
(リバデオからマーリッツまでの標高プロフィール)
Max365m ・・ガリシアに入って俄然 山岳コースとなった!
【42.9/26(月) Maariz (マーリッツ)からVilalba (ビラルバ)まで】+【Memoirs47--the
23th day of Camino del Norte】
今日はMaariz(マーリッツ)からO Corveiro→Laurenzá→Arroxo→S.Pedro de la
Torre→Lousada(ローサダ)→Gontán→Abadín(アバディン)→Martiñán→Goirizを経てVilalba (ビラルバ)までの37km。
宿の女主人カルメン、昨夜は朝は7時起床 と言ったが7:20ころ真っ暗な中を起き出してきた。板べりがギューギューと鳴る。こちらはその前にヘッドライトを点け静かに階段を降り暖炉の前に干してある洗濯ものを取り込む。一部はそのまま歩行時の装束となる。もう45日間これは変わらない。毎日洗っては着る生活。靴下だけは2足分を回転させ前日のはリュックにぶら下げ天日干しをしながら歩くようにしている。
芸術家のアルベルゲ;Pilgrims
welcome at Bisonte de Maariz(ピルグリム・ウエルカム・アト・ビソンテ・デ・マーリッツ)にはマドリード美術館のガイド グロリアも車で来ており宿には2人が泊った勘定。
若いGloriaと3人で外での朝食。彼女はマドリードで美術館のガイドをしているという。この2人、美術繋がりであったわけだ。Vacationを利用して北の道を車で回っている。会話に次々と地名が出てくる。弾丸のように速い会話でも、地名なら聞き分けられる。
ミルク、ジャムは自家製であった。生卵2個、ワカメのスープを一瓶、箸を旅の友にとプレゼントしてくれた。夕食で食べろと。彼女の作品のポストカード2枚を呉れたがそのうちの1枚はSCから手紙せよとのお達し。失礼ですが と前置きをして収入源を聞いてみた。アルベルゲと喫茶経営が大部分を占めつつ作品を売っているのだと。本当のプロであった。彼女が気に入ったスケッチがあったがスキャンする時間がなかったので日本に帰ってからデータを送る約束。
別れ際だったが、激しく鐘を打ち鳴らす。ちょうどArnau(アルナウ)が通りかかったのを目敏く見つけたのだ。彼が誘われるように坂道を降りてきた。Barとしての客にはならなかったが暫く話す。8:30にもなって3km手前のMondoñedo(モンドニェド)から上がって来たところをみると寝坊したのに違いない。
宿帳を見ると5月24日の1週間に随分沢山の日本人がこのアルベルゲを利用しているのが分かる。口コミで伝搬したのであろうか。このblogを読んだ読者も今後利用するのかもしれない。
他のアルベルゲでは経験出来ないhotな"モテナシ"。
ここからがきつい登りである。イルンから先の山Jaizkiber545mを15mもOverした560mを上り詰めようとしているのだ。北の道で最も高い標高となる高原地帯へ。ここはゆっくり登るつもりでいたのに、アルナウと一緒であるかぎりそれは許されない。Maariz(標高273m)から谷筋を越して風力発電の連なりが見える。これも誰かが言っていた。そこまで登るのだと。Lousadaの村落はちょうど川の源流に近い場所で標高403m。当初ここにテントを張る予定にした場所で仔細に調べている。机上のシミュレーションだけではあるが、景色を見ていると甦ってくる。高速道路のJCTまで坂道を降りるものと思い込んでいたのが誤りであった。実はJCTの最高位は標高550m。
Lousada からまだまだ登りが続いたのである。風力発電は結局この稜線に沿ってもっと高い部分に40基ほど立っている、分水嶺となっている部分である。今後川は南西に向かって流れる。今までは全て北向であったのだ。それほど激しい地形を登りつ詰めてきたのである。Arnau と小生の組み合わせは飼い犬を連れた一人の巡礼者である。犬のようにゼイゼイハーハーと舌を出し、よたよたと主人に付いていく。そんな感じだ。それほど激しい登りであった。
10:26 峠。
wind power plants--Lousada
(ローサダの丘の上風力発電)(10:36)
10:26 峠 JC 11:40 Abadin コカ・コーラ休憩。11:56 出発。あとは快適。高原を静かに降りていく。風力発電の林立が何時までも見えている。
12:28 森を抜けたようだ。周囲が広がる。イタリア人ジャコモがゆっくり前を歩いていた。彼を吸収して3人が進む形も話に夢中になりすぎて歩行がおそくなりだした。その後はこちらが単独で飛ばすかたち。
(12:23)
小川も流れる。
(13:42)
アルナウとジャコモのお喋りは、2人の歩行を弱める。こちらは16:00までにVilalba (ビラルバ)に到着できればバスでFerrol(フェロール)へ行けると思っていたのですこし先を急ぐ。(実際は12:00発 一本のみであったようだ)。ただこの時点で1日のアドバンスがあることと、Ferrol(フェロール)まで70kmを徒歩ではなくバスで行くと決めれば合計3日が浮くためあまり急ぐ必要は無かったのであるが、ソロの歩行の場合はどうしても速歩になってしまう。
13:28 E70、A8脇を延々。
Vilalba へは10kmを超す土の道が半円弧を描きながらN634と交差しづっと続く。緑陰の道でなかなか気持ちがいい。市内へは長い歩道橋を渡って入っていく。
Vilalba の看板を15:33 通過。Albergue Turistico Castelos着15:55
なかなか長い36kmの道程であった。8分/1km--12分/1kmの高速歩行。歩くより走るほうがよっぽど楽であるが。
郵便局は8:30-14:00 open と言う。タブレット、フルになったスケッチブック、リュックを結わえるチェーン、フランス語の指さし会話帳を郵送する積もりだ。バスは12:00発、Ferrol 13:30着の予定。当初は70kmを2日がかりで歩く予定であったがコンクリの道路はもう御免だ。
アルベルゲでスイスからのAnnemarie Knuettelに会う。来年3月22日から45日間四国巡礼を行うという。見上げた女性的である。
さてこのアルベルゲ、知り合いは4人しかいない。高速歩行のグループ以外はゆっくりグループの方たちらしい。皆
楽しげに会話している。ドイツからの各々はやはり1つに固まるようだ。スパゲッティをご馳走になる。今日も楽しい一日であった。明日からはまた1人旅。涙がちょちょ切れるではないか。缶ビールよりも安かったワインVino Tinto 1Lですっかり酔いしれた。明日は遅くまで寝ておれる。
Castelo de Vilalba (ヴィラルバ城)
(skeched at 18:08 in angle of 131°)
Plaza Santa María
the Ramen-corner of Supermarket Vilalba (ビラルバ)(18:59)
スーパーでは即席ラーメンのコーナーが一区画。
Map: Between
Maariz Vilalba
(マーリッツからビラルバまでの地図)
Elevation Profile :Between
Ribadeo and Maariz
(マーリッツからビラルバまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は560m
【43.9/27(火)Vilalba (ビラルバ)からFerrol(フェロル)まで】+【Memoirs48】
今日はVilalba (ビラルバ)からFerrol(フェロル)まで61kmをArriva(アリバ)のバスで移動。
昨日バスターミナルに行って調べたところによると、Arrivaのバスは12:00発、13:30着。
8:00まで寝ていたかったが7:00には部屋に明かりが灯った。朝食は有料サービスということで台所はてんてこ舞いの忙しさ。電子レンジを除いて使えない状態。玉子焼きを作る予定だったのに。トースターとコヒーなどの軽食を注文した人と独自の食材で食事をする人達で食堂は混んでいる。結局卵に穴をあけて啜る形で飲み込んだ。何年ぶりであろうか。こどもの頃以来かもしれない。8:30アルベルゲ退出。
郵便局に向かい要らなくなった荷物を日本に発送。つめたものはMaariz(マーリッツ)まで描いたスケッチブック(300g)、フランス語指さし会話帳(280g)、ノートルダム寺院で使用して物議をかもしたチェーン(200g)、壊れたタブレット(400g)の約1.2kg。50€弱という値段。3kgくらい減らせたドイツの時もこれくらいの価格。今回はタブレットという電子機器があったので高くついたのかもしれない。(文鎮と化したタブレットを当初は捨ててしまおうと思ったくらいであるが、日本に帰ってから修理し新品同様に戻ってきている。捨ててこなくてよかった。しかも修理代は保険で賄われた。)
閑散としていたバスターミナルであるが、けっこうcamino達が集まりだした。バスで次のアルベルゲなどにスルーする人たちであった。けっこうこういう人もいるものだと感心。チケットは運転手から買えと。時刻表だけが貼ってある。Ferrol 行きは12:00。Ferrol(フェロル)まで行く人は僅か3人。一人は魚レストランのシェフであった。途中駅からどんどん人が乗り込んできた。ローカルバスは8.5€と激安。距離にして60km以上もあるというのにこの安さである。歩くと2日もかかりその間の食事をカウントすると4倍はかかる。しかも時間はたったの1.5時間。
13:31着。ボルドー以降の久々の休日となった。高速で飛ばし1日のアドバンスがある分と、70kmを歩かない分、合計3日の余裕が出来ている。Ferrol からは橋を渡る短絡コースをやめ湾を大回りする正規のcamino 道120kmを通ることにしたい。途中A Cornaへスイッチバックをし世界遺産のヘラクレス灯台Torre de Herculesを観たりする余裕も出来た。
波止場にあるOficiana de TurismoまでTaxiを利用。こちらは5ユーロ。13:45着も事務所の月-木は10:00-12:30でclose。港から始まるcamino 道を辿ってアルベルゲに向かうことにする。スケッチなどしながら。
Real通りはマルセイユにあるような谷底がある長い通り。ビルが寄り添いなかなか趣のある風景だ。平行に走るIgrexa通りもしかり。2枚のスケッチが同じような風景になってしまったが後者は投宿しているホテル Zaharaを含む。
Calle San Francisco of Ferrol
(サン・フランシスコ通り フェロル)(14:14)
Iglesia de San Francisco Ferrol
(サン・フランシスコ教会 フェロル)(14:18)
Rúa Real(skeched at in angle of °)
Rúa Sol、Rúa Marina、
Rúa Dolores、Rúa Galiano、
Rúa Real、
Rúa Magdalena、Rúa Igrexaと6本の平行する道が同じような景観。
Rúa Igrexa(イグレクサ通り、フェロル)(skeched
at in angle of °)
宿泊したホテルZaharaは角のビル。
マルセイユを思わせるスロープの視界。
湾曲した坂道が天まで届きそうだ。
町は旧市街が2つ400mくらい離れて存在する。港寄りが"Magdalena"地区。東側が"Ensanche
B"地区。
Ferrol(フェロル)(17:54)
Ensancha B地区の建物
ビルが淡色で塗り分けられている
5-6階建てのビルが整然と並ぶが淡い色で全部が違っている色で塗り分けられている。ベランダがある家は各部屋で個別だ。出窓は建物2階以上を白で覆うように出っ張る。どこも1階部分は特別だ。一段高く設計されていて階上を庇(ひさし)付きとした佇まい。日本と決定的に違うのがビルであってもすべて屋根を持つ点。暖炉用の煙突をそこから出したり最上階としていわゆる屋根裏を設ける。屋根の色はガリシアに入る前から黒色(古い家々がスレートの石を載せている。それに倣っているのであろう。)に代わってきている。淡いクリーム色や白壁と合わせてとてもシックだ。
夕食はここZaharaで。Bacalao al
pil-pil バカラオ アル ピルピル--タラのピルピル。(サラダや魚料理では"箸"が断然便利である。Maarizのカルメンに貰った箸をこういうときに使いたい。)
こんなに美味しい鱈の料理はじめてだ。 Es la primera vez comida tan
deliciosa bacalao. Gracias.と大誉めしておいた。明日からの歩行には肉料理が欲しい、少しの量をオーダー。
23ユーロ。
Cocina de Ferrol(フェロルの料理)(20:37)
鱈料理-Bacarao al pil-pil(バカラオ・アル・ピル・ピル)
Map: Between
Vilalba and Ferrol
(ビラルバからフェロルまでの地図)